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無駄と思える時間の中で

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結婚して子供が産まれて、仕事に復帰して、友達と遊んで、趣味を持って、けれど1日は24時間のままで。

もともと無駄の多いタイプの私も、さすがに効率良く動かないといけないなとは考える。できるだけ短い時間で生産性を高く。

何もしない、何も生み出さない時間は勿体ない、と動き回る(それでも同じ場所をウロウロしてしまう要領の悪い私。この間、自転車で買い物へ行き、考え事をしながら歩いて家に帰ってきてしまい、また自転車を取りに行きました笑)。

能動的に動いていくというのはとてもエネルギッシュで生きてる感じがして好きだ。テニスに置き換えても、何かを生み出そう、もっと簡単に言えば技術向上、戦術の発展、新しい打感、感覚を求めて能動的にエネルギッシュに動いていくことは大切であると思う。

けれど、不思議なもので、求めれば求めるほど、生み出そうとすれば生み出そうとするほど、生産性が高いはずのその動きが空回りする時がある。人って本当に難しい。

その時何が降ってきた

昔、ある小説家の話で、『(小説の)アイデアはバスタブの中で生まれる』と聞いたことがある。音楽家が『公園でぼんやりしている時にメロディーが浮かんできた』と言っていたのも覚えている。ともすれば何も生み出さない非生産的に思える時間から、何かが生まれることがある。

何かが生まれると表現したのは、そういった時間に得るものというのは、生み出したというより、勝手に生まれてきた、もっと私の感覚に近い表現で言えば『降りてきた』という感じだからだ。

探し求めたわけでもなく、偶然に思い浮かんだ、ひらめいた、その感覚はテニスでもあると思う。もちろんどこから降りてきたかと言えば天使の贈り物ではなくて、それまで能動的に動いてきた自分の経験の中からなのだろうけれど。

日常でもテニスでも一見無駄にみえる非生産的な時間の中で感じることは多くある。と、言って何種類ものおかずをいっぺんに作れない自分をなぐさめるのだ。

Shiho